クマのプーさんが生まれるまで

アラン・アレキサンダー・ミルン

アラン・アレキサンダー・ミルン(A.A.ミルン)は1882年1月12日に生まれました。
3人兄弟の末っ子として生まれたアランは、次男ケンと非常に仲がよく、いつも一緒に遊んでいました。
父親が経営するヘンリーハウスに通います。
その後ウェストミンスター高校へ進学、ケンブリッジ大学の奨学金を獲得し、ケンブリッジ大学では学内雑誌「グランタ」の編集長となります。
作家となった彼は「パンチ」詩の編集委員になります。
1913年にダフネと結婚。
第一次世界大戦が勃発すると、「平和のための戦争」を唱え、戦地に赴きます。
通信兵、プロパガンディストとして働くも、負傷し除隊。
自伝で彼は第一次世界大戦について「1919年に一般人に戻ったことだけを記したい」と残すほど辛い記憶でした。
戦後、パンチの方針と作風が合わなくなり、パンチ誌を辞め、劇作家の道を辿ります。
ピーター・パンの作者J.M.バリーなどとの交流もあり、劇作家として成功を納めます。

クリストファー・ロビンの誕生

1920年8月21日、息子クリストファー・ロビン・ミルンが誕生。
「ビリー」と言う愛称がつけられますが、幼い頃「ミルン」とうまく発音できず「ムーン」と言ったことから、家庭内での愛称は「ビリー・ムーン」、専ら「ムーン」になります。
1921年8月21日、1歳の誕生日プレゼントとしてロンドンの百貨店ハロッズからテディベアをもらいます。
テディベアはしばらく名前がなく、単にテディベア、あるいはテディの愛称がエドワードであることから、エドワードベアと呼ばれていました。
ロンドン動物園の熊からウィニーの名をもらい、旅行で訪れた湖畔で出会った白鳥からプーという名をもらい「ウィニー・ザ・プー」となります。
ミルンは詩「おやすみのおいのり」をダフネに贈ります。
「出版できたら、印税はプレゼントする。」と言い、この詩を出版。
大反響を呼び、ミルンは子供向けの詩集を書くことになります。

「プーもの」の誕生

1924年、初めての子供向け詩集「ぼくたちがとてもちいさかったころ」(When We Were Very Young)を出版。
子供向け詩集として記録的な大ヒットを納めます。
この詩でクリストファー・ロビンが初登場。プーは名前こそ出ないものの、クリストファー・ロビンのテディベアとして挿絵を中心に登場します。
翌1925年には別荘としてハートフィールド村にコッチフォード・ファームを購入。
周りに広がる500エーカーものアッシュダウン・フォレストがクリストファーがプーと遊ぶ庭になります。
ついにプーの物語が企画され、この年のクリスマス、イブニング・ニュースに1話が掲載されます。
そして1926年10月14日「クマのプーさん」(Winnie-the-Pooh)が出版されます。

>>クマのプーさん後のA.A.ミルンとクリストファー・ロビンへ続く

クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))
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(c)Disney. Based on the "Winnie the Pooh" works by A.A, Milne and E.H.Shepard.
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